泣けなかった母の死─温泉宿で溢れた感情と心の解放

2024年元旦、母が亡くなった。

正確にいうと、亡くなっていた。

元旦の朝8時すぎ、携帯が鳴った。姉からだった。

姉は大晦日に東から夜行バスで帰省し、田舎でお正月を過ごす予定でした。

いやな予感しかなかった。

姉は絞り出すような声で「お母さんが亡くなってた」と教えてくれた。

人はあまりにも突然のことに対応しきれないものだと、このとき身をもって知った。

何をすればいいのか、全く分からなくなった。

右往左往しながら、年末から仕込んでおいた料理を鍋ごと車に積んだり、喪服の用意をしたり、バタバタと準備を進め、車で西へ向かって出発した。

母がどのような状態で亡くなっていたのか、その詳細は控えます。

不思議なことに、涙は一滴も出ません。

自分でも驚くほど、冷静でした。

葬儀の段取りが整い、母は葬儀場に安置された。

そして母の顔を見た瞬間、

「本当に、死んじゃったんだ。」

生きている体とは全く違うその姿を見続けても、まだ涙は出てきません。

自分があまりにも冷静すぎて、冷血人間だと我ながら呆れてしまった。

2025年元旦ではあったのですが、葬儀場は混んでいて、数日後になってようやく葬儀を無事終えることができました。

ここから私の葛藤が始まります。

どーにもこうにも寂しすぎるんです。

無条件に私を理解してくれた存在が、この世からいなくなってしまった。

この現実を受け入れようと、もがいていました。

泣けたら楽になれるかもしれないと思いながら、なかなか泣けません。

毎日、気丈にふるまうことで、なんとかやり過ごしていたように思います。

母の死後の手続きなど何も手をつけないまま、1か月近くが過ぎようとしていました。

誰もいなくなった家のことが気になっていたし、役所の手続きを済ませるため、留守を主人に任せて、一人で実家に帰ってきました。

家の中は散らかり放題で、まさしくゴミ屋敷。

人がいなくなると家も死にます。

小さい頃から暮らしていたとは思えないほど、懐かしさのかけらも感じませんでした。

気になっていた役所での手続きを済ませ、少し実家を片付けてみたけど、変わらない。

ゴミだらけ!落ち着ける部屋も場所もありません。

この時、もうすでに夕方近くになっていたので、予約していた温泉宿へ移動しました。

実家近くには、ひなびた温泉街があるんです。

温泉に浸かって、少しゆっくりしたかった。

宿に到着すると、ほそーい湯婆婆のような女将さんが出迎えて下さり、

部屋に入ってカチャッと鍵を閉めた瞬間

溢れた。

「おがーさーん」

「さびしいよー」

「おがーさん、、、、」

びぇーん

もうええって!笑

いやー、泣いた!泣いた!!

思いっきり泣きました。

そして、スッキリした。

それからお腹がすいた!

宿には食事がついていなかったので、近くのご飯屋さんに行き、日本酒とカキフライ定食を頂きました。

めっちゃ美味しかった!

感情のリセットには、場所のチェンジ、感情を抑え込まない、私にはこの2つがめちゃくちゃ効果的でした。

宿の水道からは温泉水が出るので、お部屋でゆっくり温泉に浸かることができ、

何より驚いたのは、翌朝ゆばーばが作ってくれた朝ご飯です。

ボリュームたっぷりの生野菜、ベーコンに卵、パン、スープ、他にも。

過去一美味しいと感じた朝食でした。

つづく(たぶん…)

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